Marstonの勉強発信ブログ

日々の読書や勉強を通し、得た知識を自分なりに解釈して世界に発信する。そんなコンセプトのもとで皆さんに楽しんでいただければなと思います。

役所という名の、思い出ブレーカー

こころの支えがあるというのは本当に頼もしいものです。

人生の岐路で苦しんでいても、ふと振り返えれば自分を応援してくれる者、見守ってくれる者がいて、ひとりじゃないんだと再認識させられる。

 

人付き合いが並み以下の私にもそういった存在がおりまして、今回はそんな私を支えてくれた二人の老夫婦についてお話ししようと思います。

 

 

今から10年ほど前、当時学生だった私は大学の近くのアパートで下宿生活をしていました。

大学3年の時にここでの下宿生活を始め、大学院を卒業するまでの計4年間をこのアパートで過ごした、思い出の場所ですね。

 

築40年になるこのアパートを経営しているのは、80代の元気な老夫婦で、人見知りな私もすぐに心を開くことが出来たくらいの方です。

夕食は、毎晩おばさんがつくってくれて、空腹になると部屋を出て食堂に行き、他の学生たちとテーブルを共にして食べていました。おばさんの料理は、われわれ学生の胃袋だけでなく心も満たしてくれた気がします。

 

大学内には友人もおらず、大して人付き合いもせず、いつもボッチで精神的に病んでいた私。

このふたりから元気をもらえたからこそ、捻くれボッチマンだった私もうじうじすることなく、必死でレポートを書き上げ、留年することなく無事に卒業出来ました。

私が深夜遅くまで、部屋にこもって勉強しているのを知って、おばさんから差し入れでお饅頭や蜜柑を頂いたこともありました。本当に感謝してもしきれない!

 

 

大学院を卒業した後も、大家さんのところには定期的に遊びに行っていました。

新卒で今の会社に入社し、不安を抱えながらも謙虚さと勤勉さを売りにし、新社会人として仕事をしていこう!と、そう誓った私。入社して数か月間はなんとか仕事を進めてきたものの、それも束の間。

 

入社した当初に掲げていた社会人としての誓いと心意気は、何処かへ消沈しかけてきたのです。直属の先輩や周囲との人間関係、東北各地への度重なる出張、出張先の現場の厳しい寒さ。学生時代には全く経験のなかったことのオンパレード。どれもが耐え難い現実。当然といえば当然なのですが。

社会人生活において何度もぶち当たることになる多くの壁。真面目で粘り強い(自他ともにそう思っている)私といえども、メンタルは折れかかってました。

 

そうなる度に、私は電車に乗っておじさんおばさんに会いに行ってました。

彼らは私が来たことに対して、なにひとつ邪険にすることなく迎えてくれました。

「大丈夫だ!あんた真面目なんだから、なんとかなるわよ!」「いつ来てもいいからね!」と励みの言葉をもらう度に、また来週から会社を頑張ろうと思えるようになり、なんとか7年続けて来れました。

 

そして今回も、12月に退職することを決め、新しい環境で再び頑張っていく旨を報告しにアパートに行きました。

いつもと変わらない、元気なおじさんおばさんの姿を見ることが出来ました。

 

 

 

しかし、

ひとつだけ残念な知らせを受けることに…。

 

それは、来年アパートを取り壊すとのこと。

 

このアパートを経営してきたおじさんとおばさんは、共に80を過ぎています。私はてっきり、「お二人とも体力的に限界だから、そろそろ落ち着いて普通の生活に移行しようと考えているのかな」と思いましたが、実際はそうではなかったのです。

 

実は、アパートのある周辺は元々、水田や畑、ほかにもいくつもアパートが点々としたような地帯でした。

それもこの10年で、少しずつ道路が整備され、橋梁が架けられ、交通の利便性や景観が良くなってきたのです。

 

そして来年、工事の施工範囲がとうとうこのアパートにまで及ぶことになり、役所から「ここに来年道路をつくるから、このアパートを取り壊させてほしい」という理不尽な申し出を受けたとか。

おばさんはなんども反対していたのですが、役所の人間があまりにしつこく、最終的に書類に押印をせざるを得なくなったそうです。

 

たしかに、工事をすれば今まで以上に移動は便利になるのでしょうが、昔からそこに住んでいた人や、彼らの思い出の地を一方的に取り壊すとは、どういう了見なのでしょうか?私もそこにいたら、一緒に抗議したいくらいでした。

 

 

今回は、そんな理不尽な知らせに対する私の怒りと不満を記事に致しました。

社会的に上の人間は、下々の人間のことなんて何も考えちゃいないのか。